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フライングで飛び出してしまった高3の冬

今から18年前、美大生だった私はかなり奇抜なヘアスタイルでした。その始まりは高校時代に遡ります。高校生のときは、規則の厳しい学校に通っていたため、おかっぱ、二つ結び、三つ編みという髪型が決まっていました。

在学中は規則を守っていましたが、大学の推薦が決まり合格したあと、解放感から自分で髪を切ってしまいました。肩まであった髪を、ザクザクとボブヘアにまで切りました。髪は黒髪のままでしたが、髪型はレイヤーを入れつつのマッシュルームカット、前髪はオンザ眉毛。ここまでやりました。

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髪を切った次の日、学校に行くのに勇気がいりましたが、学校へ着いてみると友達の反応が良くて何とも不思議な気持ちになりました。この髪型には色々なあだ名がつき、ウォーズマン、マッチ棒、下ネタにもなるようなものもありましたが、規則の厳しい学校でルールを破ることはチャレンジャーでもあり、「こんなことできる子だったんだ」と、周囲の目も変わりました。

私の個性を認めてくれた先生に感謝

そしてまあ、予想はしていたのですが。お決まりのように早々に先生に呼び出しをされ、職員室で検査が始まりました。「真面目にやっていたのに」と嘆かれ、3〜4人の先生が私を囲み、厳しく注意されました。

当時、私は美術部であり、美術部の先生は東京藝術大学卒の個性的な女性の先生でした。その先生も、最初にお会いしたときはロングヘアをお洒落にアップするなどしてまとめていましたが、突然坊主のようなベリーショートにしたのが衝撃的でした。

そんな先生が私を擁護してくれたお陰で、大きな問題にはなりませんでした。芸術家は自由でおおらかな人が多いため、美術部の先生は「その髪型良いよ。自由にしなさい。」と言っていました。

とことん突っ走って、燃え尽きました

高校卒業後は今までできなかったヘアスタイルにしたいと思い、髪を金髪にし、かなり短いショートカットにしました。髪を染めたのは高校を卒業してからが初めてだったため、久しぶりに会った高校の友人にとても驚かれました。今までできなかった髪型やカラーリングができたことが本当にうれしく、「これが自分なんだ」と思いました。

大学時代はパンクやハードコアなどが流行り、大好きな忌野清志郎の若い頃を意識したヘアスタイルにしたりもしました。大学を卒業するあたりから個性を出しすぎてはモテないということに気づき、髪もセミロングまで伸ばし、カラーも茶系に変えるとモテ期が到来し、ヘアスタイルだけでこんなに変わるんだと思いました。

散々髪の毛で遊んできましたが、26歳からはカラーリングをやめて黒髪に戻しました。今では昔の自分が想像できないくらいの普通のボブヘアになりました。ほどほどにモテるという良い意味でも、チャレンジ精神を失ったという悪い意味でも、落ち着いてしまった自分がここにいます。

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